投稿者: てつたろeurotraveler

  • ヨーロッパのお酒の歴史

    ヨーロッパのお酒の歴史

    ヨーロッパ雑感

    ペダルを止めて幸せな一杯を

    古代ローマの兵士たちが愛したワイン。中世の飢餓や疫病から人々を救ったビール。そして、秘密のベールに包まれた錬金術の部屋で誕生したウィスキー。ヨーロッパの歴史をひも解くとそこには常にお酒の存在があります。

    ワイン ローマ帝国が切り拓いた有名産地

    現在のヨーロッパの有名ワイン産地のほとんどは、古代ローマ帝国が領土を拡大する過程でそのベースが作られたと言っても過言ではありません。ローマ人がワイン造りをヨーロッパ全土に広げていったのです。

    なぜローマ人は占領地や入植地でぶどうの栽培を広めたのか? それは古代ローマ人にとって、ワインはただの嗜好品ではなく、生活に不可欠なものだったからで、いくつかの理由があります。

    1つ目は水の安全確保です。当時は生水が不衛生だったため、遠征先で兵士が疫病にかかるのが最大のリスクでした。ワインには殺菌作用があるため、水にワインを混ぜて飲むことで安全に水分補給をしていました。つまり、兵士の命綱だったわけです。

    2つ目はローマ帝国の領土拡大政策です。帝国は戦争が終わるとその土地に退役軍人を定住させました。彼らにぶどう畑を与えてワインを造らせることで現地の経済を安定させ、未開の土地や森をローマ風の豊かな土地へと変えていったのです。ローマ人のいう文明化です。

    そして3つ目。兵站で勝つといわれたローマ軍は、最初はイタリア本土から優れた物流網で大量のワインを船や馬車で運んでいましたが、領土が拡がり過ぎ、輸送コストが爆発的にかかるようになっていきました。それなら、現地でぶどうを栽培し、ワインを醸造した方がいいとなったのが、ヨーロッパ各地における産地化のきっかけです。

    ローマ帝国の領土を地図で見ると、現代のワインの銘醸地と重なることが分かります。

    ローマ人はワイン造りに適した、水はけと日当たりが良く、輸送に便利な川沿いの傾斜地を見抜くことに長けていました。その頃から現在まで続くワインの有名な産地として下のようなエリアがあります。(かなり絞っていますので、別の記事で紹介したい。)

    フランス・ボルドー

    大西洋側の拠点として、ローマの植民都市だったガロンヌ川の港町ブルディガラ、現在のボルドーにローマ人が紀元前1世紀頃にぶどうを持ち込みました。現在EuroVelo3が通過します。メドック地区ならEuroVelo1。

    フランス・ブルゴーニュ/ローヌ

    ローマ軍が本国から北上する進軍ルートであるローヌ川やソーヌ川沿いに沿って産地が開拓されていきました。ちなみに、この行軍ルートはアグリッパ街道として整備され、現在のEuroVeloでいうと、EuroVelo6やEuroVelo17で辿ることができます

    ドイツ・モーゼル

    ゲルマン民族に対する北方防衛の最前線だったこの地に、兵士のワインを確保するためにぶどうの栽培が始まりました。当時のぶどう栽培の北限を超えていましたが、南向きの急斜面や土壌によって栽培が可能となりました。EuroVelo 5 などのルートは、トリーア近郊やモーゼル・ライン川流域の歴史的な拠点を結ぶように走っています。

    スペイン・リオハ/リベラ/カタルーニャ

    スペイン各地でもローマ帝国が大規模なワインの製造拠点を発展させました。スペインでは、地中から60平方メートルを超えるローマ神話のワインの神「バッカス(ディオニュソス)」が描かれたモザイク画が発見されたりしています。EuroVelo3から近い町での出来事です。

    ローマ人たちが遺したのは、ぶどう畑の場所だけではありません。各地の気候に合わせたぶどうの品種の選定、どの斜面のブドウが美味しいかという区別やブランド化(ファレルヌム・ワインなど)、ローマ時代に普及した木樽など、現代のワイン文化で当たり前になっていることでローマ時代に生まれのものがたくさんあります。ヨーロッパのワイン史をめくることは、ローマ帝国の覇権の歴史をなぞることと言われるほど、両者は切っても切れない関係にあります。

    ビール 修道院が育てた飲むパン

    ワインが地中海世界の主役なら、ビールはアルプス以北の北の主役。ヨーロッパの歴史に溶け込んできました。もともとビールは紀元前、メソポタミアや古代エジプトで「液体のパン」として誕生しました。これがヨーロッパに伝わってから、現代のすっきりした黄金色のビールになるまでには、大きく分けて4つの転換期があります。

    古代ローマ人からは「野蛮人の飲み物」とされたビール

    ワインを愛した古代ローマ帝国。その本国ではビールはあまり飲まれませんでした。。 ローマ人が進軍したガリア(今のフランス)やゲルマニア(今のドイツ・イギリスなど)の先住民族は、大麦や小麦を使った「ビール」を日常的に飲んでいましたが、ローマの権力者たちはこれを「濁っていて、酸っぱくて、温かい、野蛮人の飲み物」としていたのです。ただ、ぶどうが育たない寒いこれらの国々では、ビールは独自の生活必需品だったのです。

    修道院がビールの品質を爆発的に高めた

    5世紀にローマ帝国が滅亡した後、ビールの歴史を牽引したのはキリスト教の修道院でした。中世の修道士たちは断食中の栄養補給や、巡礼者をもてなすために、熱心にビールをつくりました。(断食期間中でも液体を摂取するのは問題ないというルールだったそうです。)

    修道院がビール史に残した最大の功績はホップです。それまでのビールは、ハーブやスパイスを混ぜたグルートという調味料で味付けされており、すぐに腐ってしまうのが弱点でしたが、11~12世紀頃、ドイツの修道院などがホップに強力な防腐効果と爽やかな苦味があることを利用して品質を大きく向上させました。これにより、ビールは長持ちするようになり、遠方への交易品へとなっていきました。

    国家による品質管理とビール純粋令

    中世後半から、ビール造りは修道院から都市のギルド(職人組合)へと移り、巨大なビジネスになっていきます。そして1516年、ドイツのバイエルン公国で世界最古の食品品質管理法とも言われるビール純粋令(Reinheitsgebot)が制定されます。それは、「ビールは、大麦、ホップ、水の3つ以外の原料を使ってはならない」(※後に酵母が追加)というもの。

    これは、粗悪なビールを排除し、同時にパン用の小麦を確保するための法律でしたが、結果としてドイツビールの品質を世界最高峰に押し上げるきっかけとなりました。

    科学の力で生まれた「黄金のラガー」

    19世紀の産業革命によって、ビールは現在の姿へと大きく変わります。まず、ラガーの登場です。それまで主流だったエールに対し、低温でじっくり発酵させるラガーがドイツで発展。さらに1842年、チェコのピルゼンという街で、澄み切った黄金色の「ピルスナー」が誕生します。これが現代の私たちが飲むビールの原型です。

    技術の革新もビールの広まりに影響を与えています。1つは顕微鏡。顕微鏡によって酵母の働きが解明され、ビールが酸っぱく腐る原因の雑菌を排除できるようになりました。2つ目が冷凍機。一年中人工的に”冬の寒さ”を作り出せるようになり、夏でもラガービールを大量生産できるようになりました。そして鉄道。ビールを新鮮なままヨーロッパ中の消費地に高速輸送できるようになったのです。

    こうして長い歴史を経て、ヨーロッパには今も地域ごとに全く異なるビール文化が息づいています。3大ビール文化の中心地は下。

    ドイツ・チェコ

    「ビール純粋令」の伝統のもと、原料や醸造を厳格に管理した、クリーンでバランスの良い味わいのピルスナーやヴァイツェンが有名です。

    ベルギー

    修道院のビール文化や自然発酵の伝統を背景に、スパイス、フルーツ、野生酵母などを用いた自由で多様な味わいが発展し、トラピストやランビックなどが知られています。

    イギリス・アイルランド

    パブの文化の中心で、常温でコクを楽しむエールや、ギネス(Guinness)」に代表されるスタウト。

    ワインが気候や土壌の恵みなら、ビールは防腐・保存・大量生産という人間の知恵と科学が作り上げた結晶と言えます。

    ウィスキー 不老不死の薬

    ヨーロッパにおけるウイスキーは、ワインやビールとはまた違った歴史を歩んできました。一言で言えば、キリスト教の錬金術から始まり、密造酒の時代を経て、世界最高の嗜好品へと上り詰めた一つのドラマです。そして、その発祥の地はアイルランドとスコットランドです。(どちらが起源か論争が続いています。)

    始まりは「不老不死の薬」だった

    ウイスキーのベースとなる蒸留技術は、もともとは中東のイスラム世界で発展した錬金術の副産物でした。これが12〜13世紀頃、キリスト教の修道士たちによってヨーロッパの西の果て、アイルランドやスコットランドに伝わります。修道士たちは、大麦を原料にしたビールを蒸留し、ハーブなどを加えた強いお酒を造りましたが、実はこれがウイスキーの原型。彼らはこれをケルト語で「ウシュク・ベーハ(生命の水)」と呼んで、万病に効く不老不死の霊薬として珍重していました。これが後に訛って「ウイスキー」という言葉になります。

    税金から逃れた「密造」がウイスキーを美味しくした

    17〜18世紀、ウイスキーの運命を大きく変える大事件が起きます。イングランドがスコットランドを併合し、財源確保のためにウイスキーに重税を課したのです。怒ったスコットランドの造り手たちは、山奥や谷(グレン)に身を隠し、政府の目を盗んでウイスキーを造る密造酒(ムーンシャイン)時代へと入ります。約150年も続いたこの密造の歴史が、現代の美味しいウイスキーの基礎を作りました。特徴的なのは樽熟成の発見です。作った密造酒を隠すため、たまたま手元にあったシェリー酒(スペインのワイン)の空き樽に詰めて山奥に放置したところ、数年経つと無色透明で荒々しかった液体が、美しい琥珀色でまろやかな極上の液体に変わることが分かったという逸話があります。実際は保存や輸送における価値が理解されていったのだとは主マスが。いずれにせよウイスキーの樽熟成文化の始まりです。それから、麦芽を乾燥させるための石炭が高価で買えなかったため、身近にあった泥炭(ピート)を燃やして代用したことで、スコッチウイスキー独特のスモーキーな香りが定着しました。

    ワインの危機とウイスキーの飛躍

    1823年に税制が改正され、密造ではなっく、堂々と表舞台でウィスキー造りができるようになると一気に洗練されていきます。19世紀後半には、ウイスキーが世界的なお酒になる決定的な事件が起きます。フランスのブドウ畑がフィロキセラという害虫によって壊滅状態になり、当時のヨーロッパの特権階級が愛飲していたブランデーが市場から消えたのです。

    その代わりとして白羽の矢が立ったのが、スコットランドのウイスキー。特に、大麦が原料の力強いモルトと、トウモロコシなどが原料の軽やかなグレーンを混ぜ合わせたブレンデッド・ウイスキー(例えばジョニーウォーカーやシーバスリーガルなど)が登場したことで、飲みやすく品質が安定したウイスキーは、大英帝国の植民地ネットワークに乗って世界中へ広がっていきました。

    現代のヨーロッパのウィスキーの聖地はいうまでもないですが、スコットランドとアイルランドです。

    スコッチ・ウィスキー

    原則2回蒸留。ピート(泥炭)の煙で麦芽を乾燥させる伝統があり、蒸留所ごとに個性が強烈で、スモーキー、華やか、複雑な味わいです。

    アイリッシュ・ウィスキー

    原則3回蒸留。ピートをほとんど使わない。非常に滑らか、軽やかで、フルーティーな味わいです。

    修道院から生まれ、スコットランドやアイルランドの厳しい大自然によって磨かれたウイスキーは、ヨーロッパの不屈の精神が育んだ文化と言えます。

    修道院 学問と酒造りの拠点

    ヨーロッパの酒の歴史をたどると、必ず修道院が登場します。現代はお酒は享楽的なもの、宗教はストイックなものと考えがちなので、この2つが結びつくのは少し不思議に思えますが、中世のヨーロッパにおいて、修道院は最高峰の科学技術研究所であり、お酒を造るためのインフラ施設だったのです。

    なぜ修道院がこれほどお酒の発展に貢献したのか? それは信仰と実益を兼ねた明確な理由があったからです。

    断食期間中の完全食

    キリスト教の厳しい断食期間には固形物の食事が禁止されましたが、液体は例外でした。そのため、栄養価が高いビールは「飲むパン」として修道士たちの命を繋ぐ貴重なエネルギー源となりました。

    巡礼者へのおもてなし

    当時は宿屋や病院がなかったため、修道院が旅人や貧しい人々を泊める役割を担っていました。安全な飲み水がなかった時代、衛生的なお酒であるビールやワインと、休息の場を提供することは、最高のおもてなしだったのです。

    聖書におけるワイン

    キリスト教の儀式において、ワインはキリストの血とされる神聖なものです。そのため、どんなに山奥の修道院であっても、自前でぶどうを栽培・管理し、ワインを造る必要がありました。

    では、修道院がお酒の造り手になれた理由は? 中世の一般社会は識字率が低く、文字が読めない人がほとんどでしたが、修道院だけは例外。修道士たちは文字が読み書きでき、ラテン語で書かれた古い文献(古代ローマの農業に関する文書など)を読むことができました。さらに、仕込みの時期や気温、発酵の様子を観察してノートに記録するという、現代の科学実験のようなことが何百年も繰り返されたのです。

    また、修道院は基本的に世俗から離れ、自給自足の生活で成果や利益を急ぐ必要がないため10年、20年とじっくり樽で寝かせるといった、気の長い実験や熟成が可能だったことも忘れてはなりません。

    このような修道院の研究成果は、現代の私たちが飲むお酒の随所に生きています。

    グラン・クリュ

    フランスのブルゴーニュ地方などで、どの斜面のブドウが一番美味しいかを徹底的に調査し、石垣で囲ってブランド化したのはシトー会やベネディクト会といった修道院です。現在、数万〜数十万円で取引される最高級ワインの畑のベースは、すべて中世の修道士が築いたものです。

    高級ブランデーやリキュール

    ウイスキーの元となった蒸留技術を磨いたのも修道士ですが、フランスの最高峰ブランデー「コニャック」や、130種類ものハーブを調合して作られる緑色の魔酒「シャルトリューズ」なども、すべて修道院の錬金術のカルテから生まれたものです。

    ドン・ペリニヨン(シャンパン)

    シャンパンの代名詞ともいえるドン・ペリニヨンは、ベネディクト会の修道士ピエール・ペリニヨンの名前から取られています。彼は盲目でありながら、ぶどうをブレンドする技術や、泡が抜けないようにコルクで栓をする方法を考案し、シャンパンの品質向上に貢献しました。

    中世のヨーロッパにおいて、修道院は神に祈りを捧げ、恵みの一滴をもたらす存在でした。どうすればもっと安全に、もっと美味しくなるかを追求し続けた修道士たちの執念が、現代の豊かなお酒の文化を支えてきました。せっかく自転車でヨーロッパを走るなら、ただ走るだけはなく、各地のワイナリーや蒸留所を巡って、現地の食事とお酒をぜひ楽しんでください!

  • EV1 スペイン北西部 セクション1

    EV1 スペイン北西部 セクション1

    EuroVelo 1 · Spain · Section 1

    ガリシアの歴史に触れるEuroVelo 1の最初の区間

    Distance

    約 420 km

    Climb

    約 5,300 m

    Surface

    舗装路 + 一部グラベル

    ルート概要

    「世界の果て」からポルトガル国境の古都へ。大西洋の岬を回り、リアスの入江と松林を縫って、ミーニョ川の畔まで南下するガリシア縦断ライドです。スタート地点・フィステーラ岬の灯台を出発し、「コスタ・ダ・モルテ(死の海岸)」と呼ばれるガリシア西岸の岬群を縫って南下。ムシーア、カマリーニャス、コルクビオン、ノイア、パドロンを経て、リアス・バイシャスの中心都市ポンテベドラへ。さらにヴィーゴ湾を越えてヴィーゴ、コロンブスの「ピンタ号」帰還港バイオナ、ミーニョ川河口の漁村ア・グアルダを経由し、ポルトガル国境の古都トゥイへ至るガリシア縦断約 250 km。海岸線は岬と入江を繰り返し、内陸に切れ込むたびに緩い登り下りが連続する典型的なリアス地形。総獲得標高は 3,000 m に達します。

    路面は AC-552・PO-552 など海岸沿いの幹線県道が中心で、舗装は概ね良好。ノイア以南からはサンティアゴ巡礼路「カミーノ・ポルトゥゲース(ポルトガルの道)」と並走する区間が増え、巡礼者と分けるためのグラベル迂回や、石畳の旧道が混在します。1 日で踏破するのはほぼ不可能で、ノイア・ポンテベドラ・バイオナのいずれかで合計 2〜4 泊するのが現実的。せっかく自転車旅をするなら、1 日あたり 50〜80 km の余裕あるペース配分を推奨します。

    ルートマップ

    通過地点

    スタートから順に、町や村、スポットを距離付きで紹介します。

    0 km · スタート

    フィステーラ岬(Faro de Fisterra)

    サンティアゴ巡礼の終着地であり「世界の果て」と称される岬。大西洋に突き出した灯台と「0 km」標識。サンティアゴ巡礼路の延長として中世から旅人が向かった「地の果て」。EuroVelo1 全 10,650 km の出発点です。

    16 km

    セー(Cee)

    フィステッラ岬を越えて最初に出会う湾沿いの中心街であり、本格的な海岸線ルートを前に補給できる町。ここまではEuroVelo3と同じルートです。

    約 56 km

    ムロス(Muros)

    伝統的なガリシアの面影を色濃く残す石造りの古い港町で、中世の花崗岩アーケードをくぐりながら地元の漁師が集まるバルで一息つくのに最高の情緒があります。

    約 85 km

    ノイア(Noia)

    ムロス・ノイア湾の奥に開けた中世の港町。かつてサンティアゴの外港として栄えた歴史ある湾奥の町で、美しいタペストリーのような旧市街と、川が海へと注ぐ穏やかな汽水域の風景がサイクリストの心を和ませます。サンタ・マリア・ア・ノヴァ教会と回廊に並ぶ無銘の石棺墓地が見もの。

    約 100 km

    ポルト・ド・ソン(Porto do Son)

    バルバンサ半島の西岸に位置する開放的な港町で、近くにある紀元前のケルト人集落の遺跡(カストロ)が、大西洋の荒々しい潮風とともに悠久の歴史を感じさせてくれます。

    約 132 km

    リベイラ(Ribeira)

    ヨーロッパ最大級の沿岸漁業拠点を誇る活気ある港町であり、ダイナミックなコリベソ砂丘の絶景と大西洋の強い風を受けながら野生味あふれるライドが楽しめます。

    約 148 km

    ボイロ(Boiro)

    穏やかなアロウサ湾に面したエリア最大のリゾート都市であり、美しいバラーニャ海岸を眺めながら快適に走れる、サイクリストにとって心強い一大補給拠点です。

    約 183 km

    カトイラ(Catoira)

    ウリャ川の河口に位置し、中世にバイキングの襲撃を防いだ「西の塔」が佇む地で、堅牢な石塔と静かな湿地帯が織りなす歴史ロマンに満ちた景観が見ものです。

    カトイラから約 15 km

    パドロン(Padrón)

    カトイラからウリャ川を上流に行った町。日本人にもおなじみのスペインバル定番おつまみ「パドロンのししとう揚げ(Pimientos de Padrón)」の発祥の地。

    約 194 km

    ビラガルシア・デ・アローサ(Vilagarcía de Arousa)

    アロウサ湾の東岸に開けた活気あふれる近代的な港湾都市です。

    約 206 km

    カンバードス(Cambados)

    最高級の白ワイン「アルバリーニョ」の首都(国指定のワインの街)として非常に有名で、貴族の館(パソ)が並ぶ美しい旧市街があります。

    カンアードスから約 20 km

    オ・グローベ(O Grove)

    ルート上ではありませんが、サンシェンショの西に突き出た半島の先端にある「海の幸の楽園」と呼ばれる港町。

    約 232 km

    サンシェンショ(Sanxenxo)

    白い砂浜とマリーナにモダンなカフェが並ぶ「ガリシアの観光首都」です。

    約 243 km

    コンバロ(Combarro)

    サンシェンショからポンテベドラへ向かう途中にあるガリシアで最も美しいと称される漁村。

    約 250 km

    ポンテベドラ(Pontevedra)

    歩行者専用に再生された中世旧市街で名高いリアス・バイシャスの中心都市。ペレグリーナ教会(巡礼者の聖母教会)の半円形のファサードが象徴。巡礼路が交差する活気ある石畳の旧市街は自転車でも非常に走りやすく、中間地点で休息にも最適。

    約 282 km

    カンガス(Cangas)

    モラソ半島の先端にあるビーゴ湾に面した漁師町で、ここから対岸の大都市ビーゴへと自転車ごと乗り込む定期フェリーに接続できます。

    約 303 km

    ララチェ(Larache)

    ビーゴ周辺の喧騒から少し離れた場所に位置する通過地点で、のどかなガリシアの景観が楽しめます。

    約 331 km

    ビーゴ(Vigo)

    ガリシア州最大の人口を誇る起伏の激しい大坂道都市であり、巨大な造船所と古い漁師街が混ざり合う活気ある町です。

    約 356 km

    バイオナ(Baiona)

    1493 年、コロンブス艦隊の「ピンタ号」が新大陸発見の知らせをヨーロッパで最初に届けた港。要塞モンテリアル城は今はパラドール(国営宿)に。最終日前の宿泊地に好適。

    約 374 km

    オイア(Oia)

    大西洋の荒波が目の前に迫る断崖に12世紀の修道院が佇む村で、波しぶきを肌に感じながら一本道が続く場所です。

    約 374 km

    ア・グアルダ(A Guarda)

    大西洋とミーニョ川が交わる河口に開けた美しい港町。

    約 400 km

    タバゴン(Tabagón)

    国境のミノ川河口付近に位置するのどかな集落であり、長く付き合ってきた荒々しい大西洋に別れを告げ、川沿いの穏やかな緑の風土へと景色が移り変わります。

    約 420 km · ゴール

    トゥイ(Tui)

    ローマ時代の「Tude」が起源の国境の古都。ミーニョ川の対岸にポルトガル・バレンサ要塞を望み、両都市を結ぶ 19 世紀の国際橋を渡れば EV1-2 ポルトガル区間に接続。山上のロマネスク様式トゥイ大聖堂が この区間の最終目印です。

    EuroVelo 1 · Spain · Section Navigation

  • 【名車】トレックDomane AL2 Disc(Gen1)今なお色褪せない魅力と特徴を徹底インプレッション!

    【名車】トレックDomane AL2 Disc(Gen1)今なお色褪せない魅力と特徴を徹底インプレッション!

    「初めてのロードバイクとして、トレックのDomane ALを選んだ、街乗りからロングライドまで、これ1台で全部楽しんでいる、そんなライダーから絶大な支持を集め、トレックのアルミエントリーロードとして不動の地位を築いたのがDomane ALです。

    これを手にしたのは2021年でこれを書いている5年前。そこから毎年世代交代が進んでいますが、初代Domane ALは今見ても非常に完成度が高く、ロードバイクの楽しさがすべて詰まった名車です。今回は長年愛され続けるDomane AL初代の魅力や特徴を、あらためて徹底解説します!

    トレックのラインナップにおいて、「Domane(ドマーネ)」は長距離を快適に走るためのエンデュランスロードに位置づけられています。その優れた設計思想を、扱いやすくコストパフォーマンスに優れた「アルミニウムフレーム」で再現したのが、このDomane AL(第1世代)です。「ロードバイク=前傾姿勢がキツくて疲れる」という常識を覆し、誰もがスポーツ自転車の爽快感を味わえるモデルとして登場しました。

    2. 乗り続けたくなる!第1世代3つの大きな特徴

    レース向けのバイクに比べて、ハンドル位置がやや高く、前傾姿勢が緩やかになるように設計されています。 さらに、ホイールベース(前後の車輪の距離)が長めに確保されているため、スピードを出したときや下り坂でも車体がフラフラせず、抜群の直進安定性を誇ります。長時間を走っても首や腰が痛くなりにくい、優しい設計です。

    Domane AL 2 Discはエントリーモデルでありながら、ディスクブレーキを採用しています。 雨の日や長い下り坂でも軽い力でしっかりと止まる高い制動力を発揮します。「初めてのドロップハンドルでブレーキ操作が不安」というビギナーの方にも、圧倒的な安心感をもたらしてくれます。※ただし初期状態では機械式です。

    ディスクブレーキ化の恩恵でフォークやフレームのクリアランスが広く取られており、標準よりも太いタイヤを履かせることが可能です。 さらに、キャリア(荷台)やフェンダー(泥除け)を取り付けるための「ダボ穴」もしっかり備わっているため、以下のような幅広いスタイルに適応させることができます。

    • 太めのタイヤを履かせて、乗り心地抜群のグラベル仕様
    • 大型サドルバッグやキャリアを付けた自転車旅(ツーリング)仕様
    • 天候に左右されないタフな仕様

    3. トレックが誇る高品質アルミ

    フレームには、トレック独自の軽量かつ頑丈なアルミ素材が使用されています。踏み込んだときのダイレクトな加速感という「アルミらしさ」を残しつつ、独自のチューブ成型によって、路面からの不快な突き上げを見事にいなしてくれます。カーボンフレームのように「取り扱いに神経質になる必要がない」タフさも、旅や日常使いでガンガン乗り倒せる大きなメリットです。塗装も驚くほどきれいです。

    4. 物足りない点

    一方で気になる点もあります。

    頑丈なアルミフレームとディスクブレーキの仕様上、完成車重量が10kgを超えており、ヒルクライムはもっさりとした重さを感じます。荷物を載せて走るヨーロッパ旅ならあまり関係ありませんが。

    標準で装備されているボントレガーのホイールは頑丈ですが重量があります。「ホイールを軽量なものに交換すると、全く別の乗り物のように軽快に走るようになる」というレビューを目にします。

    搭載されているのはワイヤーで引く機械式(メカニカル)ディスクブレーキです。油圧式ディスクブレーキに比べると制動力や引きの軽さは劣るため、少し物足りなさを感じる面もあります。

    シマノ・クラリス(2×8速)は変速自体はスムーズですが、上っているときなど「もう1速軽いと楽なのに」と思うことも。ギア間の段差(クロスレシオではない点)にストレスを感じることがあります。

    5. 納車されてから手を入れた点

    物足りなさを感じたところは、少しずつパーツを載せ替えたりして、アップデートしていきました。

    標準のシートポストは短く、サドルを一番高くしてもハンドル高さより低い状態だったので長いものに交換しました。

    Clarisでも困ることはありませんでしたが、メインバイクのコンポを入れ替えたことで105(ワイヤー式)のコンポ一式が余ったので、Clarisから105に載せ替えました。DI2じゃないですが、充電を気にする必要もないのでヨーロッパ自転車旅行ならこれで十分だと思います。

    ひとつ誤算だったのは、Zwift用スマートトレーナーのスプロケも変えなければいけなかったこと! 在庫不足で入手に苦労しました。

    メインバイク納車時に履いていたフルクラムのホイールが余っていたので変更しました。鉄下駄に比べてかなり軽くなりました。

    ボントレガーの純正ホイールは25Cのタイヤでした。普段ならこれでいいですが、グラベルが多いヨーロッパ旅行に合わせて、タイヤを32Cのグラベルキングに変えました。

    6. ヨーロッパの広大なサイクリングロードを旅するにも最高の相棒!

    このDomane AL(第1世代)のタフさと快適性は、日本国内のロングライドに留まらず、ヨーロッパに網の目のように張り巡らされている長距離サイクリングルートを旅するのにも完璧なスペックを誇ります。

    ヨーロッパのサイクリングロードは、美しく舗装された道ばかりとは限りません。時には歴史ある古い石畳(パヴェ)を通過したり、海岸沿いの細かな砂や砂利が浮いた未舗装路(グラベル)に遭遇したりすることもあります。

    そんなタフな環境において、Domane ALは真価を発揮します。

    • 疲れをためない:石畳や未舗装路からの振動をフレームと太いタイヤがいなし、長距離でも体力を温存できます。
    • 拡張性:頑丈なアルミフレームにキャリアを組み付ければ、何日分もの着替えや機材を積載して国境を越えるような本格的な自転車旅(ツーリング)も余裕でこなせます。
    • どんな天候・路面でも安心:突然の雨や長い峠の下り坂でも、ディスクブレーキが確実な制動力を約束してくれます。
    • 飛行機輪行・鉄道輪行も安心:移動時のフレーム破損に対する心配が激減します。

    飛行機での輪行(預け入れ荷物)の際も、カーボンに比べて傷や破損のリスクを過度に心配しなくて済むアルミフレームは、海外の旅において精神的にも大きなメリットになります。

    現在でも進化を続けるトレックDomane AL、自信を持っておすすめできる1台です!