ヨーロッパのお酒の歴史

ワイン

ヨーロッパ雑感

ペダルを止めて幸せな一杯を

古代ローマの兵士たちが愛したワイン。中世の飢餓や疫病から人々を救ったビール。そして、秘密のベールに包まれた錬金術の部屋で誕生したウィスキー。ヨーロッパの歴史をひも解くとそこには常にお酒の存在があります。

ワイン ローマ帝国が切り拓いた有名産地

現在のヨーロッパの有名ワイン産地のほとんどは、古代ローマ帝国が領土を拡大する過程でそのベースが作られたと言っても過言ではありません。ローマ人がワイン造りをヨーロッパ全土に広げていったのです。

なぜローマ人は占領地や入植地でぶどうの栽培を広めたのか? それは古代ローマ人にとって、ワインはただの嗜好品ではなく、生活に不可欠なものだったからで、いくつかの理由があります。

1つ目は水の安全確保です。当時は生水が不衛生だったため、遠征先で兵士が疫病にかかるのが最大のリスクでした。ワインには殺菌作用があるため、水にワインを混ぜて飲むことで安全に水分補給をしていました。つまり、兵士の命綱だったわけです。

2つ目はローマ帝国の領土拡大政策です。帝国は戦争が終わるとその土地に退役軍人を定住させました。彼らにぶどう畑を与えてワインを造らせることで現地の経済を安定させ、未開の土地や森をローマ風の豊かな土地へと変えていったのです。ローマ人のいう文明化です。

そして3つ目。兵站で勝つといわれたローマ軍は、最初はイタリア本土から優れた物流網で大量のワインを船や馬車で運んでいましたが、領土が拡がり過ぎ、輸送コストが爆発的にかかるようになっていきました。それなら、現地でぶどうを栽培し、ワインを醸造した方がいいとなったのが、ヨーロッパ各地における産地化のきっかけです。

ローマ帝国の領土を地図で見ると、現代のワインの銘醸地と重なることが分かります。

ローマ人はワイン造りに適した、水はけと日当たりが良く、輸送に便利な川沿いの傾斜地を見抜くことに長けていました。その頃から現在まで続くワインの有名な産地として下のようなエリアがあります。(かなり絞っていますので、別の記事で紹介したい。)

フランス・ボルドー

大西洋側の拠点として、ローマの植民都市だったガロンヌ川の港町ブルディガラ、現在のボルドーにローマ人が紀元前1世紀頃にぶどうを持ち込みました。現在EuroVelo3が通過します。メドック地区ならEuroVelo1。

フランス・ブルゴーニュ/ローヌ

ローマ軍が本国から北上する進軍ルートであるローヌ川やソーヌ川沿いに沿って産地が開拓されていきました。ちなみに、この行軍ルートはアグリッパ街道として整備され、現在のEuroVeloでいうと、EuroVelo6やEuroVelo17で辿ることができます

ドイツ・モーゼル

ゲルマン民族に対する北方防衛の最前線だったこの地に、兵士のワインを確保するためにぶどうの栽培が始まりました。当時のぶどう栽培の北限を超えていましたが、南向きの急斜面や土壌によって栽培が可能となりました。EuroVelo 5 などのルートは、トリーア近郊やモーゼル・ライン川流域の歴史的な拠点を結ぶように走っています。

スペイン・リオハ/リベラ/カタルーニャ

スペイン各地でもローマ帝国が大規模なワインの製造拠点を発展させました。スペインでは、地中から60平方メートルを超えるローマ神話のワインの神「バッカス(ディオニュソス)」が描かれたモザイク画が発見されたりしています。EuroVelo3から近い町での出来事です。

ローマ人たちが遺したのは、ぶどう畑の場所だけではありません。各地の気候に合わせたぶどうの品種の選定、どの斜面のブドウが美味しいかという区別やブランド化(ファレルヌム・ワインなど)、ローマ時代に普及した木樽など、現代のワイン文化で当たり前になっていることでローマ時代に生まれのものがたくさんあります。ヨーロッパのワイン史をめくることは、ローマ帝国の覇権の歴史をなぞることと言われるほど、両者は切っても切れない関係にあります。

ビール 修道院が育てた飲むパン

ワインが地中海世界の主役なら、ビールはアルプス以北の北の主役。ヨーロッパの歴史に溶け込んできました。もともとビールは紀元前、メソポタミアや古代エジプトで「液体のパン」として誕生しました。これがヨーロッパに伝わってから、現代のすっきりした黄金色のビールになるまでには、大きく分けて4つの転換期があります。

古代ローマ人からは「野蛮人の飲み物」とされたビール

ワインを愛した古代ローマ帝国。その本国ではビールはあまり飲まれませんでした。。 ローマ人が進軍したガリア(今のフランス)やゲルマニア(今のドイツ・イギリスなど)の先住民族は、大麦や小麦を使った「ビール」を日常的に飲んでいましたが、ローマの権力者たちはこれを「濁っていて、酸っぱくて、温かい、野蛮人の飲み物」としていたのです。ただ、ぶどうが育たない寒いこれらの国々では、ビールは独自の生活必需品だったのです。

修道院がビールの品質を爆発的に高めた

5世紀にローマ帝国が滅亡した後、ビールの歴史を牽引したのはキリスト教の修道院でした。中世の修道士たちは断食中の栄養補給や、巡礼者をもてなすために、熱心にビールをつくりました。(断食期間中でも液体を摂取するのは問題ないというルールだったそうです。)

修道院がビール史に残した最大の功績はホップです。それまでのビールは、ハーブやスパイスを混ぜたグルートという調味料で味付けされており、すぐに腐ってしまうのが弱点でしたが、11~12世紀頃、ドイツの修道院などがホップに強力な防腐効果と爽やかな苦味があることを利用して品質を大きく向上させました。これにより、ビールは長持ちするようになり、遠方への交易品へとなっていきました。

国家による品質管理とビール純粋令

中世後半から、ビール造りは修道院から都市のギルド(職人組合)へと移り、巨大なビジネスになっていきます。そして1516年、ドイツのバイエルン公国で世界最古の食品品質管理法とも言われるビール純粋令(Reinheitsgebot)が制定されます。それは、「ビールは、大麦、ホップ、水の3つ以外の原料を使ってはならない」(※後に酵母が追加)というもの。

これは、粗悪なビールを排除し、同時にパン用の小麦を確保するための法律でしたが、結果としてドイツビールの品質を世界最高峰に押し上げるきっかけとなりました。

科学の力で生まれた「黄金のラガー」

19世紀の産業革命によって、ビールは現在の姿へと大きく変わります。まず、ラガーの登場です。それまで主流だったエールに対し、低温でじっくり発酵させるラガーがドイツで発展。さらに1842年、チェコのピルゼンという街で、澄み切った黄金色の「ピルスナー」が誕生します。これが現代の私たちが飲むビールの原型です。

技術の革新もビールの広まりに影響を与えています。1つは顕微鏡。顕微鏡によって酵母の働きが解明され、ビールが酸っぱく腐る原因の雑菌を排除できるようになりました。2つ目が冷凍機。一年中人工的に”冬の寒さ”を作り出せるようになり、夏でもラガービールを大量生産できるようになりました。そして鉄道。ビールを新鮮なままヨーロッパ中の消費地に高速輸送できるようになったのです。

こうして長い歴史を経て、ヨーロッパには今も地域ごとに全く異なるビール文化が息づいています。3大ビール文化の中心地は下。

ドイツ・チェコ

「ビール純粋令」の伝統のもと、原料や醸造を厳格に管理した、クリーンでバランスの良い味わいのピルスナーやヴァイツェンが有名です。

ベルギー

修道院のビール文化や自然発酵の伝統を背景に、スパイス、フルーツ、野生酵母などを用いた自由で多様な味わいが発展し、トラピストやランビックなどが知られています。

イギリス・アイルランド

パブの文化の中心で、常温でコクを楽しむエールや、ギネス(Guinness)」に代表されるスタウト。

ワインが気候や土壌の恵みなら、ビールは防腐・保存・大量生産という人間の知恵と科学が作り上げた結晶と言えます。

ウィスキー 不老不死の薬

ヨーロッパにおけるウイスキーは、ワインやビールとはまた違った歴史を歩んできました。一言で言えば、キリスト教の錬金術から始まり、密造酒の時代を経て、世界最高の嗜好品へと上り詰めた一つのドラマです。そして、その発祥の地はアイルランドとスコットランドです。(どちらが起源か論争が続いています。)

始まりは「不老不死の薬」だった

ウイスキーのベースとなる蒸留技術は、もともとは中東のイスラム世界で発展した錬金術の副産物でした。これが12〜13世紀頃、キリスト教の修道士たちによってヨーロッパの西の果て、アイルランドやスコットランドに伝わります。修道士たちは、大麦を原料にしたビールを蒸留し、ハーブなどを加えた強いお酒を造りましたが、実はこれがウイスキーの原型。彼らはこれをケルト語で「ウシュク・ベーハ(生命の水)」と呼んで、万病に効く不老不死の霊薬として珍重していました。これが後に訛って「ウイスキー」という言葉になります。

税金から逃れた「密造」がウイスキーを美味しくした

17〜18世紀、ウイスキーの運命を大きく変える大事件が起きます。イングランドがスコットランドを併合し、財源確保のためにウイスキーに重税を課したのです。怒ったスコットランドの造り手たちは、山奥や谷(グレン)に身を隠し、政府の目を盗んでウイスキーを造る密造酒(ムーンシャイン)時代へと入ります。約150年も続いたこの密造の歴史が、現代の美味しいウイスキーの基礎を作りました。特徴的なのは樽熟成の発見です。作った密造酒を隠すため、たまたま手元にあったシェリー酒(スペインのワイン)の空き樽に詰めて山奥に放置したところ、数年経つと無色透明で荒々しかった液体が、美しい琥珀色でまろやかな極上の液体に変わることが分かったという逸話があります。実際は保存や輸送における価値が理解されていったのだとは主マスが。いずれにせよウイスキーの樽熟成文化の始まりです。それから、麦芽を乾燥させるための石炭が高価で買えなかったため、身近にあった泥炭(ピート)を燃やして代用したことで、スコッチウイスキー独特のスモーキーな香りが定着しました。

ワインの危機とウイスキーの飛躍

1823年に税制が改正され、密造ではなっく、堂々と表舞台でウィスキー造りができるようになると一気に洗練されていきます。19世紀後半には、ウイスキーが世界的なお酒になる決定的な事件が起きます。フランスのブドウ畑がフィロキセラという害虫によって壊滅状態になり、当時のヨーロッパの特権階級が愛飲していたブランデーが市場から消えたのです。

その代わりとして白羽の矢が立ったのが、スコットランドのウイスキー。特に、大麦が原料の力強いモルトと、トウモロコシなどが原料の軽やかなグレーンを混ぜ合わせたブレンデッド・ウイスキー(例えばジョニーウォーカーやシーバスリーガルなど)が登場したことで、飲みやすく品質が安定したウイスキーは、大英帝国の植民地ネットワークに乗って世界中へ広がっていきました。

現代のヨーロッパのウィスキーの聖地はいうまでもないですが、スコットランドとアイルランドです。

スコッチ・ウィスキー

原則2回蒸留。ピート(泥炭)の煙で麦芽を乾燥させる伝統があり、蒸留所ごとに個性が強烈で、スモーキー、華やか、複雑な味わいです。

アイリッシュ・ウィスキー

原則3回蒸留。ピートをほとんど使わない。非常に滑らか、軽やかで、フルーティーな味わいです。

修道院から生まれ、スコットランドやアイルランドの厳しい大自然によって磨かれたウイスキーは、ヨーロッパの不屈の精神が育んだ文化と言えます。

修道院 学問と酒造りの拠点

ヨーロッパの酒の歴史をたどると、必ず修道院が登場します。現代はお酒は享楽的なもの、宗教はストイックなものと考えがちなので、この2つが結びつくのは少し不思議に思えますが、中世のヨーロッパにおいて、修道院は最高峰の科学技術研究所であり、お酒を造るためのインフラ施設だったのです。

なぜ修道院がこれほどお酒の発展に貢献したのか? それは信仰と実益を兼ねた明確な理由があったからです。

断食期間中の完全食

キリスト教の厳しい断食期間には固形物の食事が禁止されましたが、液体は例外でした。そのため、栄養価が高いビールは「飲むパン」として修道士たちの命を繋ぐ貴重なエネルギー源となりました。

巡礼者へのおもてなし

当時は宿屋や病院がなかったため、修道院が旅人や貧しい人々を泊める役割を担っていました。安全な飲み水がなかった時代、衛生的なお酒であるビールやワインと、休息の場を提供することは、最高のおもてなしだったのです。

聖書におけるワイン

キリスト教の儀式において、ワインはキリストの血とされる神聖なものです。そのため、どんなに山奥の修道院であっても、自前でぶどうを栽培・管理し、ワインを造る必要がありました。

では、修道院がお酒の造り手になれた理由は? 中世の一般社会は識字率が低く、文字が読めない人がほとんどでしたが、修道院だけは例外。修道士たちは文字が読み書きでき、ラテン語で書かれた古い文献(古代ローマの農業に関する文書など)を読むことができました。さらに、仕込みの時期や気温、発酵の様子を観察してノートに記録するという、現代の科学実験のようなことが何百年も繰り返されたのです。

また、修道院は基本的に世俗から離れ、自給自足の生活で成果や利益を急ぐ必要がないため10年、20年とじっくり樽で寝かせるといった、気の長い実験や熟成が可能だったことも忘れてはなりません。

このような修道院の研究成果は、現代の私たちが飲むお酒の随所に生きています。

グラン・クリュ

フランスのブルゴーニュ地方などで、どの斜面のブドウが一番美味しいかを徹底的に調査し、石垣で囲ってブランド化したのはシトー会やベネディクト会といった修道院です。現在、数万〜数十万円で取引される最高級ワインの畑のベースは、すべて中世の修道士が築いたものです。

高級ブランデーやリキュール

ウイスキーの元となった蒸留技術を磨いたのも修道士ですが、フランスの最高峰ブランデー「コニャック」や、130種類ものハーブを調合して作られる緑色の魔酒「シャルトリューズ」なども、すべて修道院の錬金術のカルテから生まれたものです。

ドン・ペリニヨン(シャンパン)

シャンパンの代名詞ともいえるドン・ペリニヨンは、ベネディクト会の修道士ピエール・ペリニヨンの名前から取られています。彼は盲目でありながら、ぶどうをブレンドする技術や、泡が抜けないようにコルクで栓をする方法を考案し、シャンパンの品質向上に貢献しました。

中世のヨーロッパにおいて、修道院は神に祈りを捧げ、恵みの一滴をもたらす存在でした。どうすればもっと安全に、もっと美味しくなるかを追求し続けた修道士たちの執念が、現代の豊かなお酒の文化を支えてきました。せっかく自転車でヨーロッパを走るなら、ただ走るだけはなく、各地のワイナリーや蒸留所を巡って、現地の食事とお酒をぜひ楽しんでください!