ここに地終わり海はじまるポルトガルの旅2018 Day2 ユーラシア大陸最西端ロカ岬

コルメシオ広場からカスカイスへ

前日に約24時間かけて降り立ったリスボン。興奮しているのか寝不足でもあまり眠れず、3、4時間程度ベッドで横になっただけ。ホテルに着いた時に自転車の組み立てとバッグ類の装着は済ませていたので、機内食で出たパンケーキを2つ口に入れ、夜が空ける少し前からリスボン市内に向かって出発しました。空港から市内まではほぼ一直線。約8km走るとちょうど日の出の時間(AM7:20頃)にテージョ川に面するコルメシオ広場に出ました。

(写真)早朝のコルメ塩広場。空港から一直線で来ました。

コルメシオ広場は「貿易広場」という意味の通り、昔たくさんの帆船が大海原へ出航していった港。フランシスコ・ザヴィエルが35歳で東洋に向かったのも、ヴァスコ・ダ・ガマがインドから帰り着いたのもテージョ川沿いの港。川と言っても対岸はかなり遠く湾に近い印象です。

テージョ川に舗装路が続いているので西へ。

上空を朝からひっきりなしに飛行機が飛ぶ4月25日橋を超えて少し行くとベレン地区。前方に高さ52mの「発見のモニュメント」が見えてきました。

先頭でテージョ川を向いて立って横顔を見せているのが、ポルトガルを海洋国家にしたエンリケ航海王子。このモニュメントはエンリケ王子没後500年を記念したものですが、その後ろには大航海時代を切り開いていった先駆者達の像が並んでいます。

ここから陸側に視線を向けると世界遺産ジェロニモス修道院が目に入ります。遠目にも細部の繊細な修飾が見えるくらい。ちょうどこの場所から4隻の船で出発したヴァスコ・ダ・ガマがインドに到達し、持ち帰った香辛料などが元手となって建てられたのだそうで、その後の時代にリスボンの港を出ていく船乗り達の安全を祈るため聖母マリアに捧げられたのだとか。ちょうど日本は室町時代のことだけど、どれだけの富がポルトガルに流れ込んだのか。

ジェロニモス修道院

そこから少し先には同じく世界遺産ベレンの塔。岩礁の上に建つこれも大理石の塔です。

まだ時間が早くどの建物にも入れないので、このままリスボンから西に伸びるカスカイス線(鉄道)で終点まで輪行することにしました。ポルトガルでもほとんどの鉄道路線と列車で自転車をそのまま持ち込むことができます。事前に調べたところ、ポルトガル鉄道(CP)の中ではAlfa Pendularという高速列車と、InterCityという長距離路線の1等車はNG(2等車はOK)。その他はローカル路線でも地下鉄でも輪行は全く問題ありません。

約20分ほど電車に乗り、終点のカスカイス駅に到着したところでパンとコーヒーで腹ごしらえし、ここからユーラシア大陸の最西端ロカ岬を目指します。

カスカイス駅から本格的にサイクリングのスタート。ポルトガルに来る前は、海沿いに続く砂浜の脇をずっと走ることをイメージしていたのですが、地形の印象としてはイギリスのコーンウォールに近く、断崖が続いて合間にたまに砂浜があるという感じ。事前にここを参考にガーミンに設定していたEuroVelo1のコースに沿って走ったのですが、やけに風が強い。横風になるときはバイクパッキングのバッグ類が風を真に受けて自転車ごと持って行かれるくらい。なかなかスピードが出ず我慢して走っていると、前方に雲がかかった山が見えてきました。方向的にはあの奥にロカ岬があるに違いない。

上り始めると、麓から見えていた雲というか霧の中を走る形になって寒く、山から吹き下す風が強いままなので、レインウェアを着込んで上を目指します。こんなときは重い荷物と車体が本当にしんどい。

たまに晴れ間が見え、走ってきたビーチと大西洋を見下ろせます。靄がかかって見えませんが大西洋です。もっと澄み渡っていれば丸い水平線を目にできるはず。

黙々と走ってロカ岬に到着! 霧で見晴らしはよくはありませんでしたが、海に突き出す崖という感じの岬で海面から100mの高さ。ここのインフォーメーションセンターに行くと、到達証明書を作ってもらえるんですが、寒さですっかり忘れていました(笑)

そしてモニュメントの下へ。

まだ昼前なので、少しだけ休憩してさらに北へ向かうことに。ロカ岬はEuroVelo1のコースからは外れているので、引き返してコースへ復帰。が、どうも北へ向かう道が見当たらない。ガーミンのマップで確認したらこの砂利道でした。ここから先は舗装路じゃなかった。

ポルトガルが海洋大国になれた理由

ところで、先に書いた通りポルトガルの大航海時代の礎を築いたのがエンリケ航海王子。
当時のポルトガルと言えば、狭い国土に人口は約200万人。スペインからの独立を確実なものとしたばかりの貧しい国。船団が成り立つだけの船を建造し、食料や物資を積み込んで、船乗りを送り出すには相当の資金が必要になったはず。この小国がなぜ突然大海の覇者になり得たか。すべてはあるところに行きつきます。

それはテンプル騎士団。

中世の騎士団の中で最大かつ有名なものの1つで、たった9人で始まり、最盛期には1万5千の騎士を数え、どこの国にも属さず、広大な領地と独自の艦隊を保有するに至り、最後はフランスで異端の罪を被せられてつぶされた騎士修道会。現代になってもテンプル騎士団の名を耳にすると、隠された財宝や聖杯伝説などで謎に満ちた神秘的なイメージを持ちますが、過去に実在した騎士団です。

この騎士団がフランスで迫害を受けて解散させられた後、この騎士団の人材と財産と受け継いだのがポルトガルのキリスト騎士団。そして、エンリケ航海王子こそ、このキリスト騎士団の何代目かの団長。
つまりはテンプル騎士団がヨーロッパ中で集め金融業で稼いだ資金を手にして、それを元手に船を造り、船乗りを集め、「お前ら海の向こうへ行ってこい!」と大号令をかけたのが、エンリケ航海王子です。

ちなみにキリスト騎士団の徽章「ポルトガル十字」もテンプル騎士団のそれを受け継いでいます。16世紀に日本に初めてやってきた南蛮船の帆にも、このキリスト騎士団の十字が染められていましたが、現代のポルトガル海軍所属の練習船サグレス号の帆にもしっかりと見ることができます。