イギリスの田舎を走る旅2017 Day3 ローマン・バス

人生2回目のバース。駅前から目にする白壁が当時の印象と同じ。こんな風景だったっけと思い出しながら、駅からパルトニー橋の方にあるホテルに行き、チェックイン。

ローマン・バスの起源はケルトの女神スリスの泉

市街全体が世界遺産登録されているバース。18から19世紀にかけてのジョージ王朝時代の建物が残されていることがその理由ですけど、その中心にあるのが、約2000年前にローマ人が建てた公衆浴場の跡。

ローマとして初めてイギリスに上陸したのは紀元前のカエサル。ガリア戦記にもそのことが書かれていますけど、カエサルに続きローマが本格的に軍を送って侵攻してきたのはそれから90年ほど後のこと。

主にイギリスの南東部から上陸し、上陸と同じ年か翌年にはコッツウォルズのサイレンセスターに軍の大駐屯地が築かれているので、ものすごい勢いでイギリス南部を攻略していったに違いないですが、その進軍途中に出くわしたのが、バースにあったイギリスで唯一の源泉です。

それより前のバースはケルト人が住むところで、源泉は自然信仰色が強いケルト人が女神スリスを祀っていた場所。寒い北の地で温かい源泉を見つけた入浴好きのローマ人と、昔から信仰の対象を奪われたケルト人の民族間の感情対立はどんなものだったのか。

ただ、ローマ人は支配下に入れた部族に対しては比較的寛容な統治政策を取っていたみたいなので、町の名も女神スリスの名前を残して「アクアスリス(スリスの泉)」とし、遠く南にある我が祖国ローマの女神ミネルバと重ね合わせて大事にしたんだそう。そして、その源泉を引いて建てられたのが公共入浴施設、ローマンバスです。

今のイギリスにある世界遺産で、ローマ時代に関係するものといえば、この浴場跡とイングランドとスコットランドの境に近いハドリアヌスの長城の2つ。ハドリアヌスの長城はイギリス攻略の戦線が徐々に北に移っていき、北のケルト人と戦争になったとき防御用に築かれた長城ですけど、この軍事境界線にも兵士用の浴場があったくらい。ちなみに「テルマエ・ロマエ」はハドリアヌスが皇帝だった時代のローマが舞台ですよね。

(写真)市街地の中心には寺院(正面)と浴場跡(その右)が。

ローマが力を入れたインフラ

インフラストラクチャーという言葉が、ローマ人のラテン語が語源となった通り、ローマ本国でも属国でもインフラを築くことを重要視して、ヨーロッパ中に道路、上下水道、競技場、公共入浴施設を造っていったローマ人。その頃の世界の中心は地中海で、首都ローマでの多数の神殿やコロッセオ、何階建てものマンションや、石で舗装された道路が敷き詰められた景観は、未開人には想像がつかないものだったのだろうと思いますけど、目に見えるものだけでなく、水道や浴場がどれほど公衆衛生の為になったことか。

浴場に入場すると、まずは2階部分から。この2階は後の時代になってから増築されたものです。

上から覗いた絵。今はここでは入浴はできないので見るだけ。

1Fに降りると寺院がそびえ立ちます。

首都ローマだと水の分配はだいたいが公的な方に6割、私的な方に4割を割いていたそうで、水道料金を払う家庭はに自宅まで水を引いていたそう。どうやって水道料金を決めていたかというと、引き込む管の太さ。管は鉛製で径の大きさは10種類、長さは30cmと決まっていて、どの管を選ぶかで負担額が確定したのだそう。

ここバースの浴場に水が流れ込んでいるところを探すと、あったあった、ありました。鉛の管!

源泉からお湯を引いている鉛の管。これがいつ作られた管か分かりませんが、昔もこんなふうだったんだろうと一人で納得。

ランチはフィッシュ&チップス

鉛管を目にして満足し、ローマン・バスを出たのは午後を回ってだいぶ経ってから。まだ昼食を食べておらず空腹だったのでYelpでお店を探して入りました。イギリス3日目でこれぞイギリスという食べ物を食べていなかったので、フィッシュアンドチップスの評判が良さそうなお店に。飲んで食べたら急に疲労感が襲って来たので、食べきれなかったポテトをテイクアウトにしてもらってスーパーへ。夕食はホテルの部屋で、スーパーで買ったパン、ハム、サラダとこのポテトで軽く済ませました。まだ日も暮れない時間に眠ってしまって翌朝まで寝てしまいました。

昼食を食べに入ったレストランではお約束のビール。黒ビールは一度も飲まなかったな。

そして出てきた料理。熱々サクサクの状態。ボリュームがすごい・・・。

昼食に入ったお店はここ。

お店の前のちょっとした広場。バースストーンが陽に照らされて黄色に。

ローマ撤退が生んだ英雄アーサー王

ストラトフォード=アポン=エイヴォンからコッツウォルズまで、古代ローマ人が造ったFosse Wayという道路を縫うように走って来ましたが、イングランド征服後数百年の時を経たある年、道路や浴場をそのままにして、ローマ人は皇帝の命で突如全軍をイングランドから撤退させます。5世紀、AD410年のこと。忽然といなくなったイングランドに残されたケルトのブリトン人。ローマの法と秩序に支配された時代が終わって、混沌とした世界に落ちていきます。その時用心棒にと雇ったのが大陸から呼び込んだアングロサクソン人。これがやがてブリトン VS アングロサクソンの大規模な戦乱を引き起こす結果に。

この熾烈を極めた内乱の伝承をきっかけに、やがて現代人の多くが知ることになる英雄伝説、アーサー王が誕生していきます。

バースのもう一つの歴史、ペイドン山

多数の小国に分裂してしまったブリトン人を再び一つにまとめ上げ、アングロサクソン人との覇権をかけた戦いに次々と勝利していった英雄アーサー王。いくつもの戦争の中で、決定的な勝利を得たと言われるのが「ペイドン山の戦い」

ペイドン山が実際はどこだったのか、未だ持ってはっきりしませんが、バース郊外の丘陵地こそペイドン山だという説が根強く残っています。

この自転車旅は、翌日からEuroVeloに乗って南へ続きます。行き先は、アーサー王が終焉を迎えたという伝説の地アヴァロン。後半はアーサー王ゆかりの地を走ります。