イギリスの田舎を走る旅2017 Day2 ボートン=オン=ザ=ウォーター

ローワースローターから東へ

ローワースローターでは陽が出ていたのに、天気が変わりやすいイギリスらしく、走り始めるとまた雲行きが怪しくなって、急激に天候が悪化。目まぐるしく変わる天気で、晴れたと思ったらすぐ雨だったり、暑かったり寒かったり。一度脱いでシートパックにくくりつけていたレインウェアをまたまた着込むことになりました。向こうの丘は晴れているのに、こっち側は雨と風。

(写真)方向的に目の前の谷はFosse Way(A429)

雨がレインウェアを弾く音が大きくなって、風も強くなってきたけど、多分また回復するだろうと思ったので、少し先で、草地の間を伸びていくパブリックフットパスに入ってみました。

(写真)木の枝が風で吹き付けられてます
(写真)ここがフットパスの入り口。ゲートを開けて入れます

雨粒で草はつるつる、路面は泥。何回かハンドルを取られそうになりながら、1本の道を黙々と走り続けました。

オルトリーブのバイクパッキング用パックは防水なので、こういうときでも安心。

フットパスをしばらく走った先の木立を出ると、一直線のFosse wayに戻りました。ボートン=オン=ザ=ウォーターはこのすぐ先なんですが、この辺りのFosse Wayの両脇は、昔ローマ人の居留地があったエリアで、当時の貨幣や陶器、ローマが運営していた郵便局の跡地が発掘されています。

(写真)またA429

ローマ時代の郵便制度と宿駅

少しローマ時代の話に戻ると、古代ローマでは上下水道や道路と同じく、国のインフラとして整備されていた郵便。何かを運びたいときに都度走るのではなくて、郵便物の有無に関係なく定期的に配達人が行き来する仕組みで、特定の誰かがずっと運ぶのではなく、馬で1日で行ける距離ごとに人と馬が交代するリレー方式。どんなに緊急の場合でも、いつでも動いている定期便に乗せればよく、備えあれば憂いなしという、インフラ作りに長けたローマならではの制度でした。

情報が武器になるというのは今も昔も同じで、これをローマで正式に制度化したのはガリアの広大な地域を転戦していったカエサル。ガリア遠征中に本国との連絡を迅速に行う必要性から発案されたものなので、つまりは、今の西ヨーロッパ中で同様の仕組みが置かれていたはず。

面白いのは、中継所が置かれる距離も決まっていて、1日に人馬が走る基準は70kmです。(昔の日本の伝馬制度は1日約130kmが基準だったので、それに比べると短め。)

この郵便制度によってパピルスで書かれた公文書や、兵士が家族にあてた郵便物が運ばれただけでなく、軍や人も移動していたのがローマ街道なので、中継所には馬車の修理施設や宿泊施設も備わった「宿駅(マンシオネス)」が整備されていたんですが、ボートン=オン=ザ=ウォーターはそのうちの1つ。ちなみに、この「マンシオネス」は「マンション」という言葉の語源ですね。

ちなみに、当時のローマは世界の中で超先進国。対して次の支配者となったアングロサクソンの文明レベルが相対的にかなり低かったので、ローマ撤退後の時代は、イギリスの暗黒時代と呼ばれているそうな。

ボートン=オン=ザ=ウォーターへ

Fosse Wayの反対側に出ると、ウィンドラッシュ川という川が町の真ん中を流れるボートン=オン=ザ=ウォーターの中心に入ります。コッツウォルズの中の水の町。いくつものアーチ状をした石造りの橋がかかり、川の両側に建物が並んでいます。

(写真)ウィンドミル川にかかる石橋の上から
(写真)こちらは自動車博物館

石橋が連なります。午後になって日が傾く時間。だんだん寒くなってきました。

ここボートンに着く頃に雨が上がりましたが、この雨を最後に、この後の旅行期間中は天候が崩れることはありませんでした。イギリスなのになんて幸運だったんだ!